師走浪人セブン
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純潔のマリアは現代的価値観に到る童貞……いや、道程
忘れた頃にやって来たでござるよ処女懐胎。
最初にそれを想起させておいてから、見ている方が忘れた頃に出してくるというのはハリウッドドラマでもよく見られる手法ですな。

カトリックの腐敗がプロテスタントを生みだし、プロテスタントの精神が啓蒙思想につながり、近代的な価値観が生まれ、人は自らの主となった。
歴史的な背景はそんなところですか。
トルストイ曰く、「愛こそ全てなり」。
ニーチェ曰く、「神は死んだ」。

力があるから戦うのではなく、戦う者にたまたま力があったにすぎない。
人はすべからく抗う者であるべきである。
永遠に続く平和も幸福もない。人はそれを維持するための思索と努力を続ける運命にあるのです。
安定というのは停止という意味で死であり、生物の構造がそうであるように、試行錯誤を繰り返して揺らいでいる状態こそが生命そのものなのです。

塩になった修道士は、トルストイやニーチェの言葉を曲解して現世に災厄をもたらした者たち……平たく言えばナチスとボルシェビキ……を象徴しているのかも。
そういやヘーゲルやカントは、対立する概念は究極的には同一であるということを各論において証明していったわけですが、極右と極左が結局やることにおいては同じところに行きつくというのもまさにその例のひとつと言えるのかも。


とまあ、長々と書きましたが、現代の価値観の出発点は生への賛美と自己肯定であり、
つまりは「生きよ、そなたは美しい」ということなのでしょうね。





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