師走浪人セブン
『 ねがぽじ 』 (後編)
これまで、ねがぽじに関する様々な質問をライターとして受けてきました。

例えば、
『タイトルはなんで平仮名なの?』
『チェ=チュバ=テリエラって何?』
『アナル好きなんですか?』
などなど。

それらの答えを知りたい方は下の“READ MORE”を押してたもれ。





『タイトルはなんで平仮名なの?』

何度こう訊かれたことか!
それも社内の人たちに。
だって、この方がやわらかい感じするじゃないですか!
そう私が答えても、みんな首をひねるばかり。
当時はまだ平仮名タイトルがメジャーではなかったのです。
ちなみに、枕流を「ちんりゅう」ではなく「まくら ながれ」と読むのも、理由は同じ。
語感をやわらかくするためです。
『ねがぽじ』
『まくら ながれ』
ほら、ほのぼのとした優しい感じがするでしょ?
まさに名は体を表すというか。特に後者。
……あれ? なんでまた首をひねるの?


『チェ=チュバ=テリエラって何?』

作中に出てくる謎の料理。
答えを先に言ってしまうと、実在する料理ではありません。
夕食は何がいいかと尋ねられたまひるが、出来た妹をちょっとからかってやろうと、
ありもしない料理の名前をあげてみただけ。ただのイタズラなのです。
しかし、それもひなたによって華麗に切り返されるわけですが。
おかげでまひるの夕食は肉なしということに。

名前の元ネタは、キューバの革命家であるチェ=ゲバラ。
料理と関係ないにもほどがある。
決して、枕の脳細胞が変なつながり方をしているわけではなく、
たまたまテレビで見てその語感が記憶に残っていただけなのです。
会社でその話をしたら、
「君はずっとテレビ見てるといいよ」
と言われました。
誉められたのか呆れられたのかは微妙なところ。


『アナル好きなんですか?』

黙れ。

……これは音声収録の現場で女性の声優さんから発せられた質問です。
しかも、いたって真面目な顔で。
これ、なんて羞恥プレイ?
えー、今までにも数限りなく説明してきたような気もしますが、
創作物と作者本人は基本的に別の存在なのです。
推理作家が現実の経験を元に書いてるわけではありませんよね。
鎖やねがぽじのような話を書いているからといって、枕が危険人物や男色家というわけではないのですよ。
そういう誤解は多いというのに、なぜか「愛佳シナリオを書いてるから優しい人」とは言われないこの理不尽。

大小のばらつきはあるものの、全ての要素は全ての人間に備わっているのです。
受け責めの性癖にしても、誰もがSであると同時にMなのですよ。
ただ、人によってその比率や量に違いがあるというだけなのです。
物書きというのは、自分の中に数多ある要素のひとつに焦点を当て、
それを種として話を膨らませていくのが仕事なのです。
よって! アナルセックスはあくまでエロゲの一要素として投入したまでのこと!

ねがぽじFDがアナル祭なのも、
FEARLESS]に浣腸シーンが出てくるのも、
鎖の明乃が主人公とはアナルでしか致さないのも、
由真が初めてでアナルもやられちゃうのも、

みんなたまたまなのですっ!!


説得力ゼロ。



微妙にオチがついたところで……。
内容に関する話の締めとして、作中に登場する天使という存在について語ってみようかと思います。
SF的な話が苦手な方は遠慮なく読み飛ばしてください。


すでに述べた理由により、まひるを人でなくすと決め、
天使という生物とそのスペックについて考え始めたわけですが、
その一方で、枕には以前から疑問に思うことがありました。

吸血鬼や神族など、物語には長命種というのがよく出てきます。
しかし、それらはどのくらい不変の存在であるのでしょうか。
インタビュー・ウィズ・バンパイアでは、気力の減退と共に滅んでいく吸血鬼の姿が描かれていました。
これは作り手の姿にも似ている、というのは余談。
さて、枕としてはもう少し物理的な変化はないものかと考えてみたわけです。
例えば、記憶。
永遠にも等しい時の中で、果たして記憶はどのくらい保たれるのでしょう。
百年? 二百年? いずれにせよ有限の時はいつか尽きてしまいます。
どんなに大切な記憶も、長き時の中で風化してしまう。
憎悪も、愛情も、決して忘れてはならない思い出さえも。

ねがぽじという物語が始まるずっと以前、
まひるには、ごく短いながらも共にかけがえのない時を過ごした少女がいました。
天空を駆け、明らかに人とは違う骨格を持つまひる(当時はまひるという名前ではありませんが)に対し、
少女は保養施設を出ることすらままならない体でした。
まるで正反対な二人でしたが、少女は天使の姿を恐れず、
まひるもそこでは人の姿を取るようになり、互いに打ちとけていきます。

しかし、まひるは彼女を守りきることができなかった。

愛しい人との記憶が消えてしまうことに耐えきれず、
外界とのすべての交流を断ち、深い森の中で思い出を反芻するまひる。
しかし、それでも記憶が薄れるのは止められず、やがては何を忘れたのかも忘れ、
ただ哀しいという感情だけを抱いて石のようになっていく。
そこに現れたひなたという少女と、彼女を捕食しようと迫る同族の気配……というのは本編中でも触れた話。


前後しましたが、天使という設定について。

自然は時に壮大な実験を始めます。
それはほとんどの場合、種の絶滅(サーベルタイガーなど)という形で終わるわけですが、
ごくわずかながら成功例と呼べるものも存在します。
その中のひとつが、汎用性だけが取り柄の脆弱な体に知恵だけを武器とした人間という生物であることは、
言うまでもありません。

生物の究極的な目的が何なのか(個体の延命か種の保存か)についてはまだ議論の余地がありますが、
現実の世界において生物は多様性の維持がまるで目的そのものであるかのように
振る舞うことが多々あります。
少なくとも、個体の多様性が種としての強靱さにつながることは間違いありません。
それでは、身体的な強さが命に関わる自然界において知恵を用いた生物が意外にも繁栄しているように、
本来求められるはずの多様性ではなく、個体の生存能力を極限まで突きつめた生物が現れたとしたら、
それはどのような進化をたどるのか。
集団の強さよりも個体の強さを求めるわけだから、身体的な差異を生む性差はなくなり、
単性生殖となることが考えられる。
その生物は何を餌としているのか。
これだけ地上に繁殖した生物を、自然は効率のよいタンパク源と見なすのではないだろうか。
想像が膨らむ膨らむ。
こうして、街を狩り場とする人類の捕食者が枕ワールドに誕生したのです。

それは、増えすぎた種を淘汰しようとする自然の意思なのか。
しかし、やはりこの生物は多様性の乏しさゆえにいずれは滅びゆく運命にあるでしょう。

ファンタジー物では、ドラゴンを滅びゆく種として描くことが一種の定番になっています。
しかし、その理由について突きつめて書かれたものはあまり多くありません。
個体の強靱さを求めたがゆえに、種として弱体化の道をゆく哀しき生物。
それが枕なりの答えです。



これまで前中後編と長話を続けてきましたが、
ねがぽじを書くにあたって私が考えていたことはだいたいこんな感じです。
七年を経てようやく胸のつかえが取れました。今晩は熟睡できそ。



最後に、ねがぽじ発売直前。
体験版の公開により、どちらかというとエロゲとは縁のないサイトまで巻き込んで
妙な盛り上がりを見せたことは、まだ記憶に残っている方もあるかと思います。
むしろ、炎○○というある意味とても真面目に作られたゲームの影響により、
主にネタとして注目されたと言った方が正しいかもしれませんが。
しかし、その状況は開発者としてかなり肝を冷やすものでした。
なにせ、入り口はライトでポップな印象でも、
そこから続く道は概ねの予想とは違う場所へつながっていたわけですから。
発売後は袋だたき……いや、きっちりこちらの世界に引き込むことができれば大丈夫!
好意的な意見が非難を上回るに違いない!
勇気ひとつを友にして飛び立ったわけです。
幸い、羽根をつないだロウは世間の陽差しにも溶けずに済みました。
枕の首もかろうじてつながることに。
いやあ、第一印象って大切ですね。
本編での印象を最初から剥き出しにしていたらきっと売れなかったでしょう。
でも、このやり方は失敗した時のリスクが大きいのであまりお勧めしません。
同じことをして会社が傾いても当方は以下略。

そう、物を売るには宣伝が大切です。
当初、枕は本編の半分ほどもある体験版を出そうと提案していたのですが、
結局サーバー費用の問題で却下されることに。
しかも、ねがぽじ発売の数ヶ月後、某作がその方法で大成功を収める。
ぎゃふん。

どんなに素晴らしいアイディアに思えても、同時に同じことを考えてる人はたくさんいる。
それをどれだけ早く形にできるかが勝負……というのも本作により得た教訓のひとつです。

知名度だけは一時的に高まったおかげで、数度の増産が掛かることになった『ねがぽじ』ですが、
しかしながら月間の売り上げでは後塵を拝すことに。
ぎゃふん。